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 Carl Zeiss Biotar 5cm f1.4 1stロット
 

Lens Data

Lens Unit

Lens Photo

製造メーカー:カール・ツァイス
設計者:Willy Merte(1889-1948)
製造番号:888971
製造年:1929年
特許番号:DE485798
特許申請日:1927/09/30
レンズ構成:4群6枚 ダブル・ガウス型
最小絞り値:16
絞り枚数:12枚
最短距離:約50cm
マウント:ライカ連動マウントに加工

Lens Impression

Carl Zeissのメルテが1927年に開発した大口径ダブルガウス型レンズビオターの初期ロットです。
4cmf1.4のビオターは製造番号808xxxで始まり1927年当初から作られましたが、35mmフルサイズはカバーせず、現代ではAPS-Cサイズとなります。フルサイズをカバーする(周辺がわずかに暗くなりますが)、5cmf1.4が製造されたのは2年後の1929年からで、製造番号は888901で始まり、100本が作られました。
この個体は、その71番目の生まれとなる、まさに1stロットの1本です。


「35mm判オールドレンズの最高峰 50mmf1.5」から抜粋

ビオターはルドルフ博士が1895年に発明し、現代でもなお標準レンズの代名詞となっている「プラナーレンズ」の正当な後継レンズのはずであった。しかし、プラナーにはならなかった。
 ビオターの名称はすでに1910年にMoritz von Rohrが18×24 mmのフォーマットのムービー映写用レンズ(ペッツバール型)の名称としてカール・ツァイス社内で検討されていたものであるが、この8.5p f1.8というスペックの大型レンズは実際使用するにあたって非常にハンドリングに難があるという理由で採用されず、この名称も一旦は消滅した。その名が17年の後に復活したわけである。当初の開発目的はシネレンズであり、ツァイスの出荷台帳を見てもビオターの最初のロット250本はフランスのDebrie 35mm cine camera用に製造されたと記載されている。
 すでにビオター開発の5年前に大先輩のルドルフ博士によってキノ・プラズマートがf1.5の明るさで開発されているとはいえ、それ以外のメーカーからは、同レベルのレンズはまだ出現していなかった。設計者Willy Merte(メルテ)は1911年にルドルフ博士がカール・ツァイス社を退社した2年後の1913年に入社した新人技術者であり、この新ビオター設計当時まだ弱冠28歳であった。

ビオターは4群6枚構成のオーソドックスなダブルガウス型であり、ほぼ同時期に設計されたf2のシュナイダー 社クセノンと同様、1920年にテイラー・ホブソン社のH.W.Lee(H.W.リー)が発明した前群、後群の対称性を崩して設計された「変形ダブルガウス型」の元祖Opic(オピック)レンズの影響を強く受けたレンズである。
 それはすなわち1888年のAlvan clarkによる「ダブルガウス型」の発明以来、ルドルフ博士のプラナー、そしてオピックと受け継がれてきた「対称型大口径レンズ」の正統な系譜に他ならない。
 ビオターが同じ4群6枚の変形ガウス型のリーのオピックと異なる点は、すべてのガラスをオピックより屈折率の高いものとしつつ、合わせて、第3群の貼り合わせ面の曲率を非常に高くし、一方最終面の曲率を抑えた構造としているところで、これにより、より大きな開口を得つつ、収差の拡大を抑えたものと考えられる。
 しかし、ビオターのレンズ構成図を見てもわかるように、この試みはリスクも大きい。凸レンズの曲率をきつくするほど周辺の収差に悪影響を及ぼすうえに、本来絞り前後の対称性によって、像面の平坦性、歪曲収差、コマ収差、倍率色収差などを自動補正させていくことがダブルガウス型の基本的機能であるが、個別の収差補正のために対称性を崩していけばいくほど、そうしたダブルガウス型の根源的メリットを失っていく可能性が生じてくるからである。


  Photos with Biotar 5cm f1.4
 
2021
objects
(周囲にあるもの)

少し近距離で撮影してみました。絞りは開放です。ハイライトの滲みが大きく、ボケもかなり派手に回ります。キノプラズマートとは一味違ったぐるぐるレンズですが、違いは距離が離れるとぐるぐるは少なくなるようです。

2021
Along Tokyo Tram
(都電荒川線の周辺)

都電荒川線の撮影散歩に初めてこのレンズを持ち出しました。できるだけ絞り開放で撮りましたが、ピント面が浅いので動いている被写体だとかなり難しいですね。
絞り開放では、かなりの滲みレンズです。これは好みの描写ですね。